デトロイトビカムヒューマン とてもえぐいゲーム
かなり前のフリープレイのことである。
ウイニングイレブンの当時の最新作がフリープレイに出ることが決まった。
私と友人は喜んだ。
対戦出来るオンラインゲーム、しかも自分たちがほとんど触れたことのないゲームだったのでそこそこに喜んだことを覚えている。
だが配信直前でウイニングイレブンの配信中止が発表された。
結構ショックだった。
ああいうスポーツゲームやれることが多いからかなり時間を潰すことができる。
パワプロで学習済みである。
しかし、代わりに補充されたゲームは私の想像の遥か上に行っていた。
「デトロイトビカムヒューマン」
PS4のゲームの中でもかなりビッグネームだと思っている。
すごいゲームだとは知っている。
だが、どういうゲームなのかは全くしらない。
友人はこのゲームのことをよく知っていた。
あることと引き換えに。
「自分がプレイしないことと引き換えに、プレイ動画を散々みた」
なるほど、現代ゲーマーらしい選択だ。
こういうアドベンチャーゲームの最大のネックだろう。
お話を見ればそれで終わりなのである。
このゲームは少し違う。
このゲームは本当にプレイしたほうがいいゲームだ。
友人ももしかしたら動画を見たとき「これはやらかしたなぁ」と思ったかもしれない。
アドベンチャーゲーム最大のゲーム性は選択肢だ。
逆に言えばそれしかないといっていい。
どれだけ緊迫した場面でも、人を殺すか殺さないかを選ぶ局面でも、変わらず。
デトロイトには3人の主人公がいる。
コナー、マーカス、カーラの3人である。
それぞれがそれぞれの目的のために必死に生きている。
三者三様の生き方をプレイヤーが作っていく。
自分は全員に幸せになってほしいと思った。
そのために自分が出来ることは他のアドベンチャーゲームと変わらない。
選択肢を選ぶだけ。
魅力的なキャラクターと、激動のシナリオ、それを引き立てる演出。
すべて素晴らしかった。
だが現実は非常であった。
終盤の山場である。
3人の主人公が同じ場所に集まる盛り上がるシーン。
選択肢も過激なものに、苛烈なものになっていく。
そこで悲劇が起きた。
主人公の一人、カーラが死んだのである。
人間の警察隊に撃ち殺された。
正直言うとめちゃくちゃにショックだった。
今まで色んな作品を見てきた。
もちろんゲームだけではなく、アニメやらなんやらである。
その中で一番ショックだったのがカーラだった。
カーラというキャラクターが個人的に気に入っていた、というのももちろんあるがそれ以上にショックを受けた。
上にも書いたが、私はカーラに幸せになってほしかった。
その為に私ができたことはただ一つ。選択肢を選ぶことだけ。
全力で生き残れるように選択肢を選んだ。
その影響でカーラは死んだ。
ある意味では私はカーラを救えなかった。
また違う意味では私がカーラを殺した。
私は後者の考えだった。
自分のせいで死んだんだと。
当たり前だ。カーラは「生きたい」と願っていた。
それを妨げる選択肢を選んだのは他ならぬ自分だったのだから。
だからこそ今までの人生において、物語における登場人物の死亡シーンで一番ショックだった。
自分が物語りに関わっているから衝撃も大きかった。
「やっぱりゲームっていいな」
そう思えた、そう思わせられる作品だった。
動画で済ませた人は本当にもったいない。
この作品は自分の物語を形に出来る数少ない作品だ。
カーラの死にショックを受けすぎた私は以降の選択肢がおざなりになった。
ひどいものだった。
悲劇はこうやって起こるのだろうという見事な筋書きだった。
その影響でマーカス、コナー両方死んだ。
世界におけるアンドロイドの立場はよりよい物になっただろうが、主人公3人は全員死んでしまった。
自分でいうのもなんだが、カーラの死がショックすぎた。
このことをネット上で知り合いに話したらこう言われた、
「メンタル弱すぎw」
そのときは他の人もいたのでネタにもなったので何も言えなかったが、違うんだよ。
何も分かってない。
俺が言いたいのは「俺のメンタルが弱い」のではなく「デトロイトとういうゲームがいかに心に刺さるか」を言いたかったのだ。
おそらくその方は俺を弄りたかったのかもしれないが、大きな間違いだと思う。
俺ではなくデトロイトに失礼。そう思う。
またデトロイトの良さを伝えられなかったことへの悔しさが強い。
間違いなく伝えられるチャンスだったのだ。
ゲーム好きにとってこれほど、ダメダメだったことはない。
滅べ俺、生きる俺。
これでデトロイトの良さが伝わればいいと思う。
私が弱いのではない、デトロイトがすごいのだ。
それでは今回はこれで。